Rainbow考
もう僕の中学1年生の頃から魅了してやまないリッチーブラックモアそしてレインボー
あの夢中だったころと、この年になってわかる当時のレインボーとではちょっと違ったりします。
レインボーは大きく分けて初期のアルバム1-3+ライブ、中期の4枚目、後期①の5-6枚目、後期②の7枚目
サウンドも初期と後期②とは同じバンドとは思えぬほど曲調も変わっています。
おそらく6枚目が出たあたりからやる気があんまりなくなってきたか、ある程度売れたから、散漫になってきたか
初期はやる気満々ですが、注目はこの曲
Catch the rainbow
僕は当時あんまり好きな曲ではなく…. ま、若いうちはやっぱりロックンロールが良いのでさ
でも大人になってから聴くこの曲のメロディやギターのボリュームを絞ってストラトのシングルコイルらしさ全開のサウンドがあまりにも素晴らしくて、やっと曲の魅力に僕が追いついた感じでした
しかし、ジミヘンドリックスを知って、見方が大きく変わります
孤高の天才と思っていたリッチーブラックモアも人の子なんだなあと
しかもバンド名を冠したタイトルですし
この当時のレインボーは名曲ばかり。やる気が違います。
ライブで実際に演奏したことはないと思いますが、3枚目の抜群にメロディが良いバビロンの城門
ソロは音とギター振りがぜんぜん違いますが、当時は動くバンド画像が見られただけで飛び上がるほどうれしかったもんです
80年になり新しい時代、新しいバンドサウンドになるレインボー。
分かりやすく言えばポップなサウンドになっていくのです。
当時はポップだポップだと非難を浴びましたが、それでもコージーのドラミングにバンドサウンドはハードロック、ヘビーメタルのサウンドでしたから、当時個人的には全くそう思っていませんでした。
ドンニントンパークフェス、つまりモンスターズオブロック。コージーパウエルのラストライブ
すばらしいシンガーですが、ファッションや髪型は気に入らなかったようで、この時代は長続きしませんでした。
でも、アルバムの中身はかなり濃かったと思います。
外部からのコンポーザーが書いた、もはやポップスの名曲Since you’ve been gone
名曲Eyes of the world やDanger zoneなど珠玉のメロディがあります
後期に入りあのジョーリンターナーがやってきます
この人は最近になってハゲをカミングアウトしたのですが、このころにもわずかにウワサはありました
なんだか毛量の多い人だとは思いましたが、かっこいい人と言う見方が大勢を占めていました。
リッチーブラックモアはディープパープルの頃や本当に初期のレインボーではハゲていたのに、2枚目の頃から突然、毛量がばさっと多くなり、誰がどう考えても「かぶったな」と言う感じでした。当時は植毛と言われていました
本当は知りませんが、エルトンジョンは失敗したが、リッチーはうまくいったとか
ジョーの場合は果たしてどうなっていたのでしょう?
後にイングヴェイと一緒にやって、脱退した後の人はクソミソに言う人ですが、そのイングヴェイでさえ、あのハゲ野郎と言っていません。知らなかったのか気を遣ったのか
このアルバムDifficult to cureの中のMaybe next timeってかなりジェフベック寄りなサウンドだと知るのは、やはり大人になってからでした
ジョーはアメリカ人なので、曲作りに参加すると一気にポップなサウンドに傾いていきます。
次のStraight between the eyesでは一気にポップなサウンドになりましたが、メロディセンスはリッチーらしさが随所に出ています。
このころのリッチーが一番太い音を出しているように思います。
当時はピックアップがシェクターだと聞いていましたが、今の解釈はダンカンだかディマジオとか?
そしてレインボー最後のアルバム、ストリートオブドリームスが発売されました。
もはやハードロックと言えるかと言うほどポップなサウンドで、このころのリッチーが目指したサウンドなのかもしれません。もうかつてKill the kingをやっていたバンドとは思えない変貌ぶりです。
しかし、曲がポップであればあるほど違和感がある ぶっといストラトサウンドがかえって曲に不自然さを与えます
つまり、リッチー自体が浮いているようなサウンドになってしまったような感じなのです
この時の日本公演に至っては女性コーラスを引き連れてのツアーでしたから、見なくてよかった。
その日本公演でオーケストラと共演を果たす、当時としては考えられないマッチングでレインボーの幕は下りるのです。
その後2度ほど再結成しますが、それはねえ、レインボーと言うかはまた次の機会に